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2010.04.10 (Sat)

鯨の背中

 沖合いにいた小さな鯨。
 なんという種類だったのかは今や忘れてしまったが、人間の小船がエンジン音を響かせて近づいても動じず、悠然と泳ぎ去っていった。空を飛ぶもの、大地を駆けるもの、海原を渡るもの、一見優雅そうに見えても自然の中で生きるということは危険と隣り合わせの生き方だ。だからこの小さな鯨を羨ましいとは思わない。けれども美しいとは思う。
 地球という箱の中で、互いに影響し合い調和して生きているから。
 多様なものが多様な生き方をし、それでいて全体で一つの均衡を保っていることが素晴らしい。小さな鯨の背中には、人もまたその一部なのだという沈黙のメッセージが込められているように見えた。
 宮崎駿の『風の谷のナウシカ』は人と自然との調和をテーマとした作品だが、映画化されたもの以上に漫画版は重く切ない。汚染された大地を浄化するために人の手で「腐海」を生み出したが、同時に腐海のほとりで生きられるよう人類さえ作り変えられてしまった。だから、浄化された大地の上で今の人類は生きることができない。やがて終わる大地の浄化と共に滅びゆく種でありながら、それでも人は戦争をやめない。そういうテーマの作品だ。
 そういえば、私が好きだったロバート・ジョーダンの『時の車輪』も、世界の崩壊を前にしながらも、己の利権のために争う人々を描いていた。人は結局そういう存在で、生きるために争わなければ種としての存在価値を見失うのではないだろうかと思う瞬間もある。

 ナウシカの言葉を借りるなら、この地上の命は「生まれ、ひびきあい、消えていく」もの。だからこそ、その瞬間を懸命に生きるように宿命づけられている。本来生きる姿は美しいものだ。
 懸命に生きれば生きるほど、その命は周囲に大きく共鳴し、最終的に均衡する。この調和の上にあるから、私たちは優雅に自由な時間を享有するのだと、この鯨の背中は語っていた。
 私たち人は、今、どれだけの音色を世界と共に響かせ合っているだろうか。
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Comment

人間の傲り

 地球上にいる人間以外の全ての生き物(動植物)は、種の保存が存在の目的です。
 人間にしても、生まれ育ち、次の世代を想像する・・・これだけが目的であれば30年も生きれば充分だと思います。

 しかし、人間は種の生存以外の時間で文化を築き、命ある限り時を過ごすことを憶えました。
 その課程で、人間にとって不都合になる沢山の種を絶滅に追いやっています。
 いつか自然の摂理により、人間が浄化される時が来るように思えてなりません。
myth |  2010.04.11(Sun) 00:31 |  URL |  【コメント編集】

難しい問題ですね

人間が快適さを求め続けてくと、明らかに地球は滅んで行くに違いありません。それではダメだと、少しずつ気づき始めていますが、今のペースで、地球を守れるのか。無理ですよね。守れるかではなく、守るにはどうすべきか、一人一人がもっと真剣に考えなければいけない時が来ていますね。
ひよこまま |  2010.04.12(Mon) 07:29 |  URL |  【コメント編集】

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