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2010.03.06 (Sat)

海辺の枯れた噴水

 高松港のハーバープロムナード、海辺の広場に設置された噴水には「水不足により水は出ません」の文字。まるで日時計のようになっているその姿を見て、昔、全国的な「水不足」が起きた時のことを思い出した。鎌ヶ谷では、学校のトイレや手洗い場に貼られた「節水」という赤いシールがいつの間にか色褪せて文字さえも読めなくなったけど、ここ高松は今でも「水不足」だったのか、と驚いた。
 そういえば、早明浦(さめうら)、早明浦、と、そのダムの貯水量が話題になった時期もあったような記憶がある。早明浦ダムが枯れることでどこまで水不足が広がるのかは知らないが、私が高松をぶらりしていた当時ここは確かに水不足で、噴水から水は出ない状態だったというのは本当の話。そうか、この辺りは水が豊かでないからこそ「うどん」が有名なのか、米は採れないのだな、と妙な納得もしてしまいそう。
 色々とある日本の名称の中で、私は「みずほのくに」という名称が一番好き。清流の流れる川辺と風に波打つ稲穂。文字通り瑞穂の国である日本は、水田に象徴された水資源の豊かな国であるという印象がある。そして、小学生も低学年の頃まではその通り水の豊かな土地と教えられて育つ。
 水もまた限りある資源だと教えられ、そして「水不足」という日本も避けて通れない資源の問題に直面するのはそれからのこと。日照りの夏は水田が枯れることだってある。だからダムは作られるわけだ。
 ダムを作ることで、海まで流れていくべき土砂が海岸で堰き止められしまい、結果日本の海岸では深刻な侵食が起こっているという話をテレビで見たことがある。アメリカでは、ダムの水が大量の蒸気を空中に吐き出すために豪雨が起こるというような研究結果も出たらしい。確かに、ダムには色々な弊害があるかもしれない。けれども、ダムは水資源を確保するという意味で大切な役割を担っているのも事実だろう。
 最近は八ッ場(やんば)、八ッ場と騒がしい。実は自民党が与党だった去年の夏、草津へ寄るそのついでに八ッ場ダム建設予定地に行ってきた。ダムの底に沈むという渓谷は確かに美しい。個人的にはもったいないことだと思う。駅前の温泉街も、ダムの話がなければもっと活気付いていたのかもしれないと思うと残念な気もする。しかし、そういうことを犠牲にしてでも推し進めていたはずのダム計画は、本当に必要なものなのかどうかを見極めるべき時期だというのに、そういうことはニュースにされない。地元の声も大切だけど、確かに必要なダムなら作るべきだと私は思うのだ。高松の水不足を思い出すとなおのことそう思う。
 それにしても、水の枯れた噴水とは対照的に、背後に広がる海の水はどこまでも雄大だ。
 いつか、私たちは川にダムを作るのではなく、海の水を利用して生活するような生活様式に変わっていくのだろうか。そんな将来像を描くべき時になってきたような気がする。
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2010.03.13 (Sat)

雀の子 そこのけそこのけ 車が通る

 私が知る限り、受けた恩に報いる鳥は鶴と雀だけだ。今までの人生の中で鶴を助けたことはないので、残念ながら私のもとにイケメンの旦那様が舞い込んでくる! という奇跡は起こりそうもないが、雀のお宿くらいには案内されてもいいのではないかと思う。
 全日空ホテルの前をふらっとしていた時のこと。車も出入りするエントランス前の街路樹横で、小さな雀がよちよちと歩いている。時々羽をバタバタと広げるが飛ぶ気配はない。雀は雀だが巣立ち前の子雀という感じだ。追い越して行ってしまおうかと思ったが、車に踏んづけられても可哀想なので掬い上げてみたら、いとも簡単に手の中へ。すっぽりと納まってじっとしている。
 飛べない子鳥がそれほど遠くに行くはずもないだろうと思って上を探してみたら、街路樹の幹に小さな巣があったので、たぶんここから落ちたのだろう。私の身長では背伸びをしても手が巣に届かなかったので、持っていた日傘の先にそっと乗せて巣に近づけてあげるとピョンと跳ねて巣の中へ。
 気分のいい瞬間だった。
 なので、雀のお宿に案内せいだの、小さい葛籠をよこせだのは殊更言う気にはならないのだが、そのあとの仕打ちが良くない。高松の商店街でブラジャー代をぼられ、桂浜近くの漁港でタクシーの中に日傘を置き忘れ、穂エールウォッチングではお目当ての鯨にめぐり合えず、千葉に戻ってからは高熱にうなされた。とほほ。
 せめて無事に千葉に戻れるくらいの報恩があってもいいのではないの? なんて言いたくもなる。同時に、もしかしてあの巣は別の鳥のものだったのだろうか、なんて考えてしまったり。
 それにしても、最近は実家の方でも雀を見かける機会が減った。木造建ての家が減って巣を作る場所が少なくなったり、餌をとる場所が減ったりしていることが原因らしい。稲穂を食べることで害虫とされる雀は、同時に稲に群がる害虫を駆除する益鳥としての側面もある。お隣の国では雀を大量に駆除して凶作になったこともあったとか、なかったとか。
 ともあれ、よくよく見ると雀というのは可愛い顔をしていて、チョンチョンと跳ねて歩く姿も愛おしい。そこのけそこのけお馬が通る、と詠った小林一茶の気持ちがわかるような気もするのも、蓄えもなく年だけ重ねて生きていることの証明なのかもしれない。
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2010.03.20 (Sat)

金貨十枚

 戦国三大賢夫人という触れ書きで、戦国時代を生き抜いた三人の女性を描いたテレビ番組があったのだが、残念ながら最後の総括部分だけしか見ることができなくて、どこかで聞いた名前だった豊臣秀吉の「ねね」、前田利家の「まつ」は記憶の片隅に残ったものの、長らくもう一人の女性が誰だったのか謎だった。その後しばらくして、NHKで大河ドラマ『功名が辻』が放送されたのを見ながら、最後の一人はもしかしたら山内一豊の「千代」だったのかもしれない、と思い至っている。
 そういえば、高知城址で誰ともわからず馬を連れた女性の像を写真に納めた、たぶんあれが千代だったか、と思い出して写真を探しているうちに読みたい気分になってしまったので、最近になって司馬遼太郎の『功名が辻』を四巻まとめ買い、今ちょうど一巻、千代がへそくりの金貨十枚を夫の前に差し出して、一豊はその金貨で名馬を得て一気に名を上げたという(くだり)まで読み進めている。実際のところ、この金貨十枚の真偽は不明であるらしいが、そこは小説なのでいかにももっともらしく描かれている。
 安能務の『始皇帝』を読んだ時のふと思い出した。呂不韋(りょふい)という商人が、邯鄲(かんたん)(趙の首都)に人質として住んでいた秦の子楚(しそ)を知り、金銭的に難儀しているという話を聞いて「奇貨置くべし!」と閃いたというエピソード。いい儲け話だぞ、という天才的な閃き。呂不韋はその後子楚に資金的な援助を行い、さらには自分の子供を身ごもっていた女性まで差し上げてしまったというからすごい。子楚は子楚で、その資金のおかげで太子に選ばれ、秦王になって呂不韋を取り立てたので、呂不韋は名士になったという話。(呂不韋の子供は後の始皇帝になったとされているが、このあたりの真偽の程は千代の金貨十枚と同じく定かでない)
 金貨十枚の馬も、千代にとっては「奇貨」つまり必要な投資だったのだな、と『始皇帝』を思い出しながら思った次第。結果として名馬が夫のものになり、そのことが巷の評判になったことで、山内一豊の名が知れ渡ったという見返りがあった。
 支払ったものに対してその見返りがきちんと描ける人というのはすばらしいな。私はまだ自分に対して「ここぞ」という投資をしたことがない。自己啓発という言葉が先走る中で、何を伸ばしていきたいのか、どうなっていきたいのかも描けていない私は、自己投資の前に将来像を描くことから始めないといけないのだろう、が。
 司馬遼太郎が言うには、金貨三枚で、当時山内一豊が起居していた屋敷がひとつ建つそうだ。家三軒分の資金なんてもちろん手元にはないけれども、それくらいの痛みを伴う一世一代の大勝負にいつか私も打って出る時が……来る気配はなさそう、か。
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2010.03.27 (Sat)

悠久の時

 城好きな人もいるが、私はそれほど城が好きと言うものでもなく、そのくせ近くに城址があると聞くと、謂われも知らないくせに見ては見たくなる。高知にいた3日間、ふたつの城に巡り合った。
 一つが、高知城。
 そして、一つが中村(為松)城址。模擬天守があるけど、もはや完全な城跡のみ。訪ねた当時は何の知識もなかったが、その後NHKの大河ドラマ『功名が辻』を見て一豊の弟が治めた場所だと気付き、ついでと調べた結果、もっと古く謂れの深い土地であると知った。歴史的には高知城よりも断然古いのだ。しかし当時はこのような知識はゼロで訪ねたので、あまりよく見てこなかった。惜しいことをした。
 高知城は言わずもがな、山内一豊に始まる土佐藩の居城だ。寛延元(1748)年に再建された天守閣の姿は美しく、特に訪ねた当時天気もずば抜けて良かったので感激も一入だった。しかし、経緯は覚えていないが天守閣どころか本丸にさえ入らず、写真を一枚撮って大満足してホテルに向かった。次に高知に行くことがあれば、中に入って心ゆくまで堪能したいものだと思う。
 考えてみれば、最近は天守閣の中にまで入って楽しむということをしていない。
 熊本城も外側をぐるりと車で走って満足してしまったし、長野の松本城もお金を払って中に入った割には国宝の天守閣に登らなかった。比較的頻繁に遊びに行く福島の鶴ヶ城でさえ、昔は天守閣の中に入ったけど最近は見て終わり。そんなことよりも城郭のまわりをのんびり散策する方が今の私には向いているといえる。
 最後に訪ねた青森の弘前城は天守閣の中には入ったものの、それよりも広大な公園を散策する方が楽しかった。津軽富士を借景に、眺めも素晴らしい。城、イコール天守閣でもないし、日本式の庭園を歩き、悠久の時を感じて過ごす瞬間が一番好きだ。
 歴史に詳しいわけでは決してないけれども、歴史を感じてその中に身を置いている時というのは、私、日本人で本当によかったな、などと柄にもなく思ってしまう。高知城でもそういう楽しみ方をしてくればよかったのだが、まだまだ当時の私は若かった。
 次があればのんびりと散策しがてら、一豊と千代の偉業に敬意を表して来ようと思っている。
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