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2008.09.27 (Sat)

魂の器

 おそらく、タロットカードの戦車は一般的に「白と黒のスフィンクス(あるいは二頭の馬)に馬車をひかせる若き王」を描いているはず。古代ギリシアの哲学者プラトン(Πλάτων)は、魂が持つ三つの性質を「二頭立て馬車とその御者」にたとえているが、その言うところはタロットカードの解説に似ていなくもない。曰く、欲望の象徴である黒馬は道草を食ったりあらぬ方向へ突然走り出す。対となる白馬は理性であり、休むことを知らずに道をまっすぐに進もうとする。御者はそのふたつの性質を巧みに操って心身のバランスを保っている。
 ヘンリー・ジキル(Henry Jekyll)は、肉体は魂の器にすぎず、また、魂には善悪二つの面があると考えた。ある種の薬品によって魂を分断することができれば、肉体は自ずと違った形を取るであろう。悪の面を引き剥がしてしまえば、残されたヘンリー・ジキルその人は一点の曇りもない善良なる人間となれるはずだ。そうして生み出された魂の片側がエドワード・ハイド(Edward Hyde)、魂の悪なる一面だった。
 スクリーンでファンタジーが流行っていた時期、立て続けに私は『ヴァン・ヘルシング(Van Helsing)』と『リーグ・オブ・レジェンド(The League of Extraordinary Gentlemen)』を見たのだが、そのどちらに登場するハイドも筋骨隆々の巨漢。怪物といえばゾンビか、あるいはこういった巨漢がイメージされるようだが、スティーヴンソン(Robert Louis Stevenson)オリジナルのハイドは違う、ジキルよりも小柄で、若々しく、また弱々しく、そしてどこといって欠点のない顔でありながら出来損ないの印象を与え、見る者を何故か不快にさせる人物だ。彼は魂の片側であるために完全ではなく、しかし一つの性質の凝縮であるために完璧な人物だった。その一方で残されたはずのジキルは? 何一つ変化のない凡人のままだった。
 仮にジキルの薬が彼の善なる面を引き出したとしても、それはヘンリー・ジキルの容姿からかけ離れた人物になっただろう。プラトンの言葉を借りるならば、エドワード・ハイドは黒馬であり、ヘンリー・ジキルはその御者だったのだから。御者は白馬ではない。 ジキルの間違いは黒馬の手綱を放し、彼に自由を与えたことにある。ジキルに抑圧され行使されることの少なかったハイドは最初の頃こそ未熟で弱々しかったが、自由を得た彼はやがて勢力を盛り返し、ついにジキルはハイドを制止できなくなる。
 人は理想を持ちながらも、ついつい堕落したがる。けれども、堕落してばかりもいられないのは理性の力が働くからだ。ところが理性が強すぎれば強すぎるほど無理をして調子を狂わす。
 どちらが強くあってもいけないのよね。
 ハイドに肉体を明け渡したジキルは最期に毒を呷ってしまう。心の均衡が崩れれば体にも不調をきたすというわけで、頑張るとき、頑張らないとき、メリハリをつけて生きていきたいものである。
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