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2008.08.04 (Mon)

未完のファンタジー

 ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズ最終巻(和訳)がついに書店に並んだ様子。私自身は『不死鳥の騎士団』のラストで打ちのめされて以来ストップしたまま、完結と聞くとまた読み始めようかなぁなんて思ってみたり……。
 ローリングの作品を私がはじめて手にした頃は、トールキンの名作がついに映画化! と世間がこの古典作品に再び注目し始めた頃でもあったけど、この時期、私はローリングでもなくトールキンでもなくただひたすら一途にロバート・ジョーダン(Robert Jordan)の『時の車輪(The Wheel of Time)』シリーズに夢中になっていた。
 
 歴史もそこに生きる人間も輪廻転生の下に名を変え、姿を変えて繰り返すという世界観。時の輪が回ることによって時代が変り、その軌跡に多様な「歴史模様」が浮かび上がる。カエサルやナポレオンのようなカリスマ性のある人間が現れ、模様をはっきりと紡ぎだすこともある。そのような歴史を織り成す人々を、作品では「歴史の織人」と読んでいる。
 物語の主人公ランド・アル=ソアも「歴史の織人」の一人として生まれたのだけど、それがかつて闇の王と戦い全界を崩壊に導いた竜王の生まれ変わりという設定。予言によると、再び闇王と闘うために命を落とすとされ、しかも全壊崩壊以来、男が使うといずれ気が触れてしまう魔力を必死の思いで使い続ける。こんなに頑張っているのに、世界の国々は闇王の恐怖に目も向けず、好き勝手に反目しあってはランド・アル=ソアを利用しようと企んだり、はたまた葬り去ろうとする。おかげで彼の性格は回を追う毎に偏屈で傲慢になっていく。ロバート・ジョーダンってアメリカ人ですよね? と思うほどにランド・アル=ソアは型にはまったアメリカ的なヒーロー像の枠の外にいる人物。
 中学生のころに、蝋燭を使って実像と焦点を結んだ反対側に巨大な虚像が浮かび上がる実験をしたことがあるが、ジョーダンの世界は、まさに現実の世界を大きく膨らましたところに形作られている。
 例えば国家観。
 ランド・アル=ソアの生きる世界には多様な国家があり、多様な民族が暮らしている。否定はしないものの(一部には強烈に他文化を否定し他民族を強行に同化させる民族もある)各々は相手の風習を受け入れがたい奇妙な風習だと思い、自国の文化こそは真にまっとうだと考える。一致して闇王と戦う意思はありながら、団結して事を起こそうとはしない。温暖化という共通認識がありながらまるで足並みの揃わない現実の世界によく似ている。偏見は悪いことだと知りながら、それでも他民族に対する大小さまざまな偏見をぬぐえない現実の世界によく似ている。ジョーダンは、その多様性を一枚の布になぞらえて「模様」と呼ぶ。歴史も多様性の中でオリジナルなデザインになる。
 けれども、決してそれを否定するのではないところがこの作品の醍醐味。
 ベット・ミドラー(Bette Midler)が「遠くから見れば世界は美しい」と歌ったように、ジョーダンの視線はとても高いところにあるから。
 遠くから俯瞰したならば、小さな人間たちが織り成した歴史模様はさぞかし美しいことでしょう。
 この美しい世界の中には、欠点だらけの人間が生きている。作品に出てくる個性豊かな人びとは皆、短所が強調されて描かれている。ランド・アル=ソアだけではなく、闇王その人もまた、驚くほどの知識と、驚くほどの無知を兼ね備えた強く弱い存在として描かれている。(しかも、闇王は同時に創造主であるという仄めかしまである)
 女尊男卑なところも特徴の一つ。何につけても女性が強い。そこには「男の歴史は戦争と血の歴史だ」という作者の強い信念があるらしい。
 12巻『A Memory of Light』で完結の予定だったけれども、私が11巻『竜神飛翔(The Knife of Dreams)』を読んでいる途中で、作者の訃報が飛んできた。アミロイドーシスという難病と闘いながらの執筆。ずっと作者の健康が心配される中での、あの堂々とした11巻の完結だっただけに、とてもショックだった。

 昔読んだ小説の一節に、「優れた人間というのは、神様がその才能を地に落としたことを惜しんで早くお手元に連れ戻してしまう」という(くだり)があったけど、それにしても作品の完成を待てなかった神様は本当に残酷だ。「ロバート・ジョーダンの後継者」によると、Brandon Sandersonという人が続きを執筆するらしく、2009年の秋には日の目を見る様子。
 日本語版はまだまだ先だなぁ……。
 と、完結編を手にする日を待ちわびつつ、ロバート・ジョーダンという偉大なファンタジー作家のご冥福を、心よりお祈り申し上げるのです。
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2008.08.17 (Sun)

流行を追いかける

 果実は食べ時を見計らえということで、早速ローリングの『ハリー・ポッター』6巻を購入。読み始めると早いもので、その後2日で7巻も読み終えて……
嗚呼、セブルス! 信じていて良かった!
 と思った。
 気が付くと8月も半ばになってきた。心なしか暑さは和らいできているように思うが、お昼を食べに出かけても冷たい蕎麦やうどんばかり選んでしまう。けれども世間はすでに秋の気分。ショッピング街のショーウィンドウには秋めいた衣類が飾られている。この暑い中、まだまだブーツは活躍しそうにないものの……。
 そうは言っても、8月になると夜に目覚める虫の音も様変わりしてくるようだ。秋らしさ漂う虫の声を聞きつつ、先取りが好きなのは何もファッションだけではないのかなぁ、と思ってみたり。
 私自身は親が嘆くほど流行に疎く、またブランドにも興味がない。興味がないというと語弊があるのだが、どの部分を切り取っても魅せられる体型をしていない私が何を着ても着こなせるわけがなく、なるべく衣服に高ーいお金はかけたくないと思っている。それでなくても金欠気味なのだから、ブランドの服を着るなんてもってのほかだ。
 親は、ブランドを買う必要はないが、もっとファッション雑誌を読んで研究するように言う。とはいえ、読んでも私にはそれがいいのだがよくないのだが、わからない。
 アン・ハサウェイの主演映画 『プラダを着た悪魔』は、そんなファッション雑誌の舞台裏を描いた物語。メリル・ストリープの強烈なカリスマ編集長ぶりが際だつ作品だが、プラダを始めとする数々の一流ブランドの衣装は、私のようなファッションに疎い人間の目にも格好いい。ただし、この作品の趣旨は高級なブランドに身を包むことが女性の美しさなのではなく、女性を美しくするのはその中身なのだ、というところにある。
 最終的に主人公は、大勢の女性が憧れるブランドを脱ぎ捨て、自分の目標に向かって歩き出す。それが「私らしい美しさ」なのだ、というメッセージ。流行について行けない私には、ありがたいメッセージだ。
 ところで、昨夜、大学のゼミの同期会があったのだが、その場で男性3人から結婚の報告があった。考えてみれば、今の私の歳で父はとっくに結婚していたのだから、早いと驚いてはいけない。この頃はゼミの同期だけでなく、まわりも次々に結婚していく。私の方はと言うと?
 うーん、ここでも流行について行けテなーい……。
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2008.08.23 (Sat)

写真に騙される

 弘前駅について、駅前のサイクルネットで自転車を借りた。私が弘前を訪ねた当時は市内3ヶ所で貸し出しをしていたが、今では4ヶ所に増えたらしい。台数には限りがあり、事前予約もできないが、無料で貸し出してくれるので市内に点在する名所を観光するのに自転車はエコノミーでエコロジー、というわけで大変便利な乗り物。時間的にはお昼を回っていたので若干の不安を抱えつつ受付に行くと、残りたった2台だった。大変運がいい。
 借りた自転車の前籠には青森らしく林檎の絵が描かれている。市内をぶらぶらしていると何台もの林檎自転車に巡り会った。「あ、あの人も弘前観光だな」とわかると、まったくの見ず知らずの人なのに、何か共通の意志を通わせることができているようで心がときめく。
 市内は100円バスも巡回しているので、これを利用する手もある。けれど、もしも弘前公園を散策することを考えるなら、ここはやはり自転車を利用するべきだ。なにしろ弘前公園はだだっ広い。天守閣に辿り着く前にへばってしまうし、8月の暑さの中、実際にへばっている人を何人か見かけた。天守閣付近の有料空間以外なら園内の自転車乗り入れは自由。有料空間でも、押して歩く分には自転車の持ち込みが可能。何ともいいこと尽くめ。

 弘前公園は、桜の名所として大変有名な場所であり、また、弘前城の天守閣を臨む橋から眺める花は格好の撮影スポット。今年の春は、JR東日本の旅パンフレットにも起用されていて至るところで弘前城の天守閣を見たが、あの写真は懐かしいと思う反面でほろ苦い気持ちもあったりで、複雑な心境になる。
 何しろ、写真で想像していた天守閣と、実際にこの目で見た天守閣は天と地ほどの違いがあったから。

 肉眼で見た光景とカメラのレンズが捉えた光景には当然違いがあって、その違いをうまく利用して楽しめるのが那須にあるようなトリックアートの施設なのだが(「写真は騙される」参照)、逆に言うと騙されている写真に人間の目も騙されてしまうわけで、ことに写真自身が騙されていることを自覚していないときは(たち)が悪い。旅行雑誌に掲載されていた天守閣を見て、私の貧弱な頭は、高知城や熊本城のような城を想像したもので、弘前に行くなら花の時期を外したとしても弘前城に行かねば損だ、とまで思いこんでいた。だからこそ、料金を払っててくてく行くこと数分で見えてきた写真とそっくりな天守閣を見て、「いや、あれなはずはない、きっと奥の方にもっと立派な天守閣があるに違いない」と瞬間的には本気でそう思って自分を慰めようとした。
 いやはや、愛らしい天守閣だ。しかし、実際には大層美しい天守閣である。……小さいことだけが残念だ。
 天守閣の常で中は資料館として利用されており、津軽ゆかりの品々が展示されていた。
 写真には騙されたものの、公園そのものの規模は満足がいく。特に素晴らしかったのは借景として利用されている津軽富士(岩木山)。園内の高台から見えるこの山は、優雅な裾野を広げて私の目に迫ってくる。市内のどこからでも見渡せるが、弘前公園からの眺めが最も素晴らしかった。
 行ってよかった。
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2008.08.27 (Wed)

お休みは計画的に

 よく人から「職業は何ですか」と問われて、若干の戸惑いを覚えつつも「システムエンジニア(SE)です」と答える日々。私の場合はいわゆる「社内SE」というこれまた説明の厄介な職種で、システム構築を請け負っている専門の会社に勤めているわけではなく、システムではない別のサービスを提供する会社に勤めている。とはいえ、信販会社に勤務していた当時、「信販会社です」という答えは、家電量販店やスーパーマーケットでクレジットカードの会員を募集しているような仕事だと早合点されたので、こういう表現も使いづらい。「信販会社でシステムを作っています」と言うと、ソフトウェア会社の方などで取引先に常駐してシステムを構築しているような場合もあったりして、ややこしい。
 なんかこう、カチっとした表現はないものかね、私の仕事。
 ……と仕事内容の説明に苦慮するのと同じくらい、この仕事は時間のやりくりに苦労するような気がしている。日付が変わっても働いていることなど当たり前だし、必要に応じてというよりは、いつでも必要に迫られて休日出勤。それでもシステムが正常に動いているうちはまだ良くて、ひとたび障害でシステムがダウンしてしまうと……基本的に家に帰れない。
 障害時はシステムの復旧に24時間体制が敷かれることも多く、運が悪いと夜の22時や朝の6時の出社に当たってしまい、「徹夜をすると寿命が3日縮む」と言う同僚のボヤキに返し手も見つからないまま長い長い夜を明かしたこともある。(もっとも、私は萱野茶屋で三杯茶を二杯飲んでいるから、今までに徹夜した分を相殺しても余りあるほど寿命が延びている……はずだ)
 しかもシステムが想定外にさっさと復旧した場合に夜間勤務がなくなる場合もあったりして、徹夜がなくなることはそれなりにいいのだろうが、徹夜に合わせていた体内時計が狂ったまま翌日の朝を普通に出勤するのも辛い。しかも、上司から「今日の休みは代休扱いにしておくから」と言われたりするので、なお辛い。夜間勤務が不要と判断されるのは大概午後だから、「休みって言われたって今から何したらいいのさ?」な状態だ。
 本当に、代休だけは計画的に取得したいものである。いや、「絶対に計画的に休むぞ!」という意気込みで今の会社に入社した。
 仕事の忙しさは大して昔と変わらないが、この信念のもと、今のところ私の代休消化率は百パーセント計画通り。やっぱり予定して休むのと、想定外に休みが降ってくるのとでは時間の使い方、充実度がまるで違う。実は今日も計画的に休みを取得した。何をするかも決まっている(でも内緒)。今から明日が楽しみだ。
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