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2008.05.02 (Fri)

台場

 1853年にペリーが来航した際、急ピッチで整備された品川の台場。当初7つあった台場はそれぞれ埋め立てられたり撤去されたりして、現在は第三台場と第六台場だけが残されている。そうな。このうち第三台場は歩いて渡れるそうだが、行ったことがない。第六台場は橋の上から見られるらしいのだが、はてどこから見られるのか全く記憶にない。
 お台場。なんとなく縁遠い場所だ。住んでいる場所から直線にすると距離的には近いのだが、距離の割には電車の乗り換え回数が多すぎるのと、時間がかかりすぎるのと、根が億劫なことを嫌う性質(たち)なので、結局足が遠退いてしまう。それでも住み心地のいい場所のように思える。
 今年の2月にお台場で親友の結婚式があった。「お台場は一番好きな場所だから、お台場で挙げることにした」とその親友は言っていた。
 私のお台場体験は大学3年の夏が最初で、ゼミの仲間と東京湾に浮かぶ花火を見だが、やはり大都会。「ゆりかもめ」に乗るために行列ができるほどの大混雑に辟易して、花火は手賀沼で十分だと思った。それから4年経って2度目のお台場に行ったときには、何のイベントもない3月下旬の夕暮れで、休日だというのにスッカスカで快適だった。特に海浜公園の潮風が気持ちいい。
 のんびり海岸沿いを歩いて、ぼうっと遠くの屋形船を眺めているなんて、最高の贅沢じゃないか?!と思う。
 お台場で挙式した親友が「一番好きな場所」というのも納得である。特に最後のお台場、結婚式の日は、2月という1年で最も寒い季節だったというのに快晴で、薄いパーティードレスで外を歩いても気持ちの良い陽気だった。
 ほんと、近くに住んでいるならば! 格好の散歩コースなのだがなぁ……。
 残念。
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テーマ : ちょっとおでかけ - ジャンル : 旅行

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2008.05.09 (Fri)

奇跡の槍

「あなた、サンタクロース?」
「いいえ。サンタは忙しくて来られないの」
「それならあなたは誰なの?」
「ヨンタクロースよ」
 タイトルも前後の展開も総て忘れてしまったのだが、そんな映画のシーンを観たことがある。ような気がしている。その後しばらく、「ヨンタクロース」って本当は英語でなんと言っていたのだろう、というのが疑問だったのに、終に分からないままになってしまった。
 洋画は好きだが、英語はとても苦手。そういう意味では、私は作品を十分に楽しんでいないのだろうなぁと思っている。外国語が流暢に喋れたら私の世界はもっと豊かになるだろうに。
 年単位で昔の話になるが、『黒十字の騎士』という小説を読んだ。作者はジェイムズ・パタースン(
James Patterson)とアンドリュー・グロス(Andrew Gross)。邦題は「黒十字の騎士」だが、原題は「The Jester(道化師)」。騎士と道化師は敵対関係で、しかもこの場合主人公は道化師。騎士は蛮行を繰り返し、主人公の妻子を虐殺した憎い男だ。それでも邦題が『黒十字の騎士』なのは、間違いなくその方が様になっているからだと思う。(なにしろ、「黒十字」といえば「ドイツ騎士団」だから!)。翻訳家の苦労をつくづく感じてしまう。
 小説の時代は中世フランス。イスラム教勢力がヨーロッパを蹂躙し、やがて東ローマ(ビザンツ)帝国を滅亡へと追いやる時代。キリスト教世界を守るため、民衆も王侯貴族も揃って東を目指した時代だ。いわゆる十字軍の時代である。
 主人公のユーグは南フランスの小さな村で宿屋を営んでいたが、自由が手に入ると聞いて十字軍へ参加する。しかし、それでは自分の望む自由は手に入らないと悟り、脱走兵となって愛する妻の待つ故郷へ戻る。が、そこに妻はいなかった。
 十字軍遠征から自身の持ち帰った何かのために妻子を奪われたと知ると、ユーグは復讐の鬼となって独り立ち上がる。やがて妻子を犠牲にした物の正体が聖遺物(ロンギヌスの槍)だったということが発覚すると、イエスの血の付いた槍を所有するユーグのもとには、領主に抑圧され続けてきた民衆が集まり、自由を求めた反乱が起こる。

 総じて、面白い作品だった。読者を飽きさせないストーリー展開は、まるで映画を観ているかのようで、一気に読み干してしまった。
 しかし、読者サービスが過ぎているというべきなのか、ちょっとやりすぎな感もある。

 史実として、フランスでは十字軍遠征や百年戦争と動乱が続く。農民は戦争に重税に疲弊した。百年戦争のさなかには、ジャックリーの乱と呼ばれる農民反乱が起こっており、時代背景としては何ら間違ってはいないものの、そこはやはりフィクション。なんと勝ってしまう。しかもフランス国王の愛娘とめでたく再婚するというおまけ付きだ。それも、農民の暮らしに大変理解のある社会主義派の王女様というのだからマルクスもびっくりである。
 しかも、描写があまりにも粗野で動物的だ。暴力的なシーンは徹底して残酷だし、書くと指定サイトにされてしまうようなシーンは、艶かしさとは縁遠く、野蛮な気配さえ漂わせている。しかも描写の頻度が多い割には、特に感じるところなく平静で読めてしまうのだから、とんでもないことである。
 挙句にこの主人公、道化師の格好で戦う。良くも悪くも所詮はフィクションである。
 とはいえ、ロンギヌスの槍というのはひとつのアイロニーだろうと思った。ジャックリーの手にはロンギヌスの槍はなかったが、ユーグの手には聖なる槍が握られていた。この聖遺物がなければ、フランス革命を待たずして民衆の勝利はあり得なかったはずだ。まだまだ「奇跡」を必要とした時代の話なのである。

テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

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2008.05.17 (Sat)

ヘルシング

 ルーマニアはトランシルヴァニア地方のワラキア公ヴラド3世(Vlad Ⅲ)と聞けば、好きな人は真っ先にドラキュラ公のことだと思いつく。「ドラキュラ(Drakulya)」は本来「小竜公」という意味で、竜騎士団の騎士であった父親が竜(ドラコ)の名をとって「ドラクル(Drakul、竜公)」と呼ばれたことに由来する。ルーマニアを脅かすオスマン・トルコと戦い、ルーマニアをよく守った英雄でもある。
 トルコ兵のみならず、重罪を犯した自国の農民・貴族に幅広く串刺し刑を適用したことでも有名で、この行動とドラキュラという呼び名(竜は同時に悪魔の使いでもある)の響きに閃いたブラム・ストーカー(Bram Stoker)によって、(ヴラド3世本人にとっては甚だ不名誉なことながら、)かの名作『吸血鬼ドラキュラ(Dracula)』が著された。この作品に登場するのが名高きエイブラハム・ヴァン・ヘルシング(Abraham Van Helsing)、吸血鬼と戦う60歳のお爺さんだ。

 『X-MEN』のウルヴァリンといえば全身タイツ(それも黄色)姿で闘うカッコイイおじさまだ。マスクで顔は見えないが、絶対にダンディーなおじさまだ。絶対に若くない。そもそもプロフェッサーXより年上だという疑惑もある。だからこそ、映画の中でヒュー・ジャックマン(Hugh Michael Jackman)が演じたウルヴァリンはまったくの別人としか思われない。
 思われないだけでなく、本当に別人に仕立て上げられているのが映画『ヴァン・ヘルシング(Van Helsing)』の主人公(ガブリエル・)ヴァン・ヘルシング。どう見ても60歳の老学者ではない。ヒュー・ジャックマン扮するヴァン・ヘルシングは若々しく、そしてワイルドだ。
 この映画『ヴァン・ヘルシング』については、主演を別人と勘違いして映画館まで足を運んでしまったという苦い思い出がある。わざわざその俳優を観たいがためにチケットを買ったというのに、ヒュー・ジャックマンが登場してくるのだから、心底驚いた。
 映画自体は、“ジキルとハイド”が登場するやら、“フランケンシュタイン”が好演しているやらとやりたい放題。おまけにヒロインが主人公を助けて命を落とすというあるまじき展開で、どうにも納まりの悪い終わり方だった。けど、内容はともかく音楽が大変良くて、弦楽器の軽快なリズムが流れている瞬間は気持ちが和む。
 この作品に関しては、ノベライズ本を一緒に読むのがいい。主人公の心の動きが文字の中で現れてくるので、映画そのものをより一層楽しめるようになっている。

 なお、ヒュー・ジャックマンその人は私のツボを突いてくる俳優らしく、ウルヴァリンやヴァン・ヘルシングでワイルドな役柄を演じたかと思えば、『ニューヨークの恋人(Kate and Leopold)』ではこれまた別人のような優男。しかしそこが大変宜しい。特にマーガリンのシーンで見せた甘いマスクは手放しに、萌える(笑)。
 メグ・ライアン(Meg Ryan)のキュートな演技も、一見の価値あり。
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2008.05.24 (Sat)

瀬戸大橋

 先日、某番組で瀬戸大橋が劣化していないかどうかををロープ1本で点検している人たちの番組を見た。その前には東京タワーの天辺の電球を取り替える仕事の番組を見たときにも思ったけど、「私には絶対に無理だわぁ」と偉大な仕事をする人たちに感服、脱帽、平伏。

 田舎が鹿児島なので、瀬戸大橋は過去に何回か姿を見たことがあるものの、毎度毎度通過するのみ。いつかあの橋を渡って四国を旅してみたいものだと思いながら過ごしていたところ、ついに念願叶って行かれることになった。
 ちょうど梅雨時にぶつかってしまったのだけど、日頃の行いがいいので(?)天気は大変良くて雨の気配さえ感じない。
 お昼頃に東京駅から新幹線に飛び乗って、岡山駅に着いた頃にはすでに日が傾き……。香川へ向かう列車に乗り換えいざ瀬戸大橋。
 おお、瀬戸大橋!
 完成当初は日本一距離の長い橋だったのではなかったかな。今でも一番なのかどうかはわからないけれども、とにかく長い長い。距離が長いのは格別、快速という名の鈍行(失礼!)に乗ったせいか、余計に時間が長く感じる。写真は何枚か撮った。けれども夕陽の差し込む車窓が反射してしまい、写したかったものの大半はおじゃん。
 あははは……。
 橋からは大小とりどりの島々が浮かび、次々と姿の変わっていく光景が旅路を偲ばせる。昔よく、天草(熊本)と長島(鹿児島)の間をフェリーに乗って移動したものだったけど、あそこで見た島々の光景も好きだったな【写真左】。私は基本的に海が好きなのだろう。将来家を持つなら海の見える家がいいとさえ思っているし、少し前に銚子の愛宕山から見た絶景に心奪われて、是非セカンドライフは銚子で……と夢想したりしている。まあ、貯金がないので家は当分買えないが!
 瀬戸大橋から見える島のひとつに、一風変わった島がある。アポロチョコの形をしているのだが、その形の見事さに目を見張ってしまう島【上の写真に小さく写っている】。名前は知らなけれども、同じ時期にアートを求めて四国を旅していた知己がこれと全く同じ島を写真に収めていたので、その妙な偶然にちょっとドギマギしてしまったのも記憶に新しい。
 基本的に空の旅はしない。えらく苦手なのだ、飛行機という名の乗り物が。なのでなるべく列車を利用する。
 列車を利用する場合には、のんびりとした旅をするのがいい。
 新幹線や特急に乗って時間を稼ぐたびも捨てがたいとはいえ、そこに生活する人の日常が垣間見える鈍行に揺られる旅も貴重な体験になるのだから。
 瀬戸大橋を渡る電車の中では、学校帰りの女子高生たちが床に座り込んでパンやおにぎりを食べていた。都心では見かけない光景だし、多分都心で見かけたら顰蹙ものだろう。けれども、ここではそんな光景も違和感がない。
 お国柄というのはあると思う。
 瀬戸大橋を渡った先で出合った学生の元気さは、日常生活の中ですれ違う学生の誰よりも明るく開放的に見えた。それも旅路故の感傷だったのかもしれないけれど。
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2008.05.31 (Sat)

多弁と寡黙

 職場が変わって一番面倒になったことは、服装に気を使わなければならなくなったことかもしれない。前の職場では、立地も仕事内容も、特にお洒落をするほどのことがなく、辛うじてスーツに見えるようなパンツにYシャツでも特に浮いているとは思わなかったのに、今の職場はそうではない。
 それなりのオフィス街であるし、女性社員も洒落た服をセンスよく着こなしている。なので、今は少しずつ服を買い足している状態だ。一ヶ月の衣服代が家計に響いているのも痛いけど、それ以上に痛いのがクリーニング代がかさんでいること。デパートで買うような「いい」服は、ドライオンリーというものが割りと多い。手洗いの服も増えたので、これはこれは結構面倒だぞ。ああ、お洒落ってどうしてこうも煩わしいのだろう!
 以前、『質と量』でも軽く触れた腕のいいクリーニング店「あづま」は、私が幼少のころからご夫婦2人で切り盛りしている小さなお店。腕の良いことは言うまでもなく、値段が高いことも言うまでもなく。
 ついでに言うまでもないことは、おふたり揃ってお喋りが好きだということで、しきりに訪ねてくる私はいいカモであるらしい。特に奥さんと話し始めると、30分くらいは普通に話が続く。私は話の途中でお(いとま)できるほど器用ではないので、次の客がやって来るまで話し込んでしまうことも、ままある。
 愛想のよさは商売上手ということか。
 よほど行きなれた店でもない限り、客がひとりもいない店には入りづらいもの。単なる立ち話とはいえ、客がいる店内は安心して入れるし、客のいる店には連鎖して人がやってくるような気がする。人のいる店というのは、それだけで十分な宣伝になっている。
 一方で、行列ができる店というのは、愛想がなくても問題ないのか、と思うこともある。
 松戸にある鯛焼き屋の「きくや」は、昔ながらの手作りの味を維持しているお店。手焼きのために焼きあがりに時間がかかることと、客が皆大量に買っていくので、行列に並んでから鯛焼きを手にするまで、30分以上待たされることを覚悟しないといけない。しかし待つ甲斐はある。
 ここのご主人が、とにかく無口。
 列に並んでいると、ガラス越しに外からでも鯛焼きを焼く姿が見えるので、誰しもが思わずその作業を覗いてしまう。ご主人は黙々と作業をして、一度だって行列に視線を投げたことはない。まるで、目の前にあるのは分厚い不透過の壁だと言わんばかり。笑顔ひとつなし。
 職人魂というのはこういうものだよね、という感じかな。
 「あづま」さんも「きくや」さんも私のお気に入りのお店。ずっとずっと元気に商売を続けていって欲しい。
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