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2008.02.04 (Mon)

泣ける話ではなさそうだけど

 砂漠の土地で太陽が昇る姿を撮影した映像を見ると、「自然って雄大!」と思う。あの揺らめく光が地平線から解き放たれる瞬間、カメラを逆さまにして写したら、こぼれ落ちる涙にも見える。
 『ティアーズ・オブ・ザ・サン(原題:TEARS OF THE SUN)』。
 最初にタイトルをきいた瞬間、そんな壮大な光景が目に浮かんだのに。開始早々に爆睡してしまった不届きものは誰だ。私だ。
 とても疲れていたのと、最初の展開からお決まりのストーリーを思い浮かべて、高をくくってしまったのだから仕方ない、というのは言い訳につき左へ受け流すことにしても、観ていないならどうしてカテゴリ「映画」でブログの記事にしているのだ、と突っ込まれると大変、困る。もう一度きちんと観た方がいいのではないだろうか、という反省の気持ちがあったので。
 その後、ノベライズを読んでみた。
 クーデタが勃発して治安の悪化した土地に取り残された外国籍の女医(モニカ・ベルッチ)を、軍が救出に行く。「患者を置いて私一人助かるなんてできない!」とワガママな女医を連れて、隊長(ブルース・ウィルス)は右往左往。そこまではありきたり。ところが、女医を護衛しているつもりで、実はクーデタで失脚した大統領の息子を護衛していた、という驚天動地の展開付き。敵役たちの極悪非道っぷりは勿論底なし。びっくり仰天な展開を見せたけど、大筋でアメリカンスタイルの王道は外さないストーリー回しに迫力あるラストシーン。これなら映画も案外楽しいかもねと思った。
 暇を持て余したときに、もう一度チャレンジしよう。
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2008.02.11 (Mon)

神は高みより

 あの時は自分を束縛するものすべてから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 温泉街という響きには、どこかに古くささが残っているように思う。箱根湯本も同じだ。新しい建物も随分とあり、多くの人が集まり活気がある。けれども、所々に残る「昔のもの」たちが、そこに歴史とそれだけの重みがあることを教えてくれている。
 自然だけがあるわけでもなく、コンクリートだけに囲まれているわけでもない。多くの人を集めてなお都心の便利さから一歩距離を置いた静かさに、もしかしたら「人臭さ」を感じるのかもしれない。
 目指す場所は「湯の里おかだ」。
 箱根湯本の駅を出てすぐのお店に、「杏仁ソフト」というポスターが貼ってあった。杏仁というくらいだから、あの独特の香りがするソフトクリームなのだろう。そんなことを思いながら歩いていると、しばらくして今度は「蜂蜜ソフト」に巡り会った。うむ、これは気になる。杏仁と蜂蜜、どちらが良かろう。そんなことを思いながら少し歩いて、狭い路地を入った。
 てくてく歩く。
 地図で確認したときにはとても近くにあるように見えたのだが、歩けども歩けども辿り着く気配がない。「道を間違えたのかしら」と不安になってきた頃に、ようやく近くの橋まで辿り着く。もう少しだ、というのは大間違い。そこから更に歩いて、ようやく案内板が現れる。
 着いた、着いた!
 案内板を確認すると、進むべき方向は右。あれ、地図で確認したときは左にホテルだったような気がするのだけど?
 でも、案内板を信じよう。という判断が誤算。右を進んで途端に現れたのは心臓破りの坂道で、日頃の運動不足が祟ってヘトヘトに……。坂を登り切ったところで、やはり進むべき道は左だった。左にある「ホテルおかだ」からエレベータで「湯の里」まで行けるのだったと知って、脱力。
 ……ま、まあ汗をかいただけ温泉は格別だよ、ね?
 気を取り直して入浴。温泉はとても気持ちがよくて、ついつい長風呂をしてしまった。
 あの当時、私生活で不安なことが重なって気持ちの晴れない日々が続いていた。胸が痛い、とか、胸が苦しいというのは単なる比喩に過ぎないとずっと思っていた私だったのに、本当に苦しくて、最初は美味しそうと思って食べた食事もあまり美味しいと感じなかったり、つい愚痴っぽくなってしまったりしていた。簡単に言うなら「落ち込んでいた」わけだけど、それまでのほほんと生きていた私には表面だけ平静を装うので精一杯。この突然の非常事態に夜も眠れない有様だった。
 けれども、温泉っていいものだね。
 その日の天気は快晴。懐かしい古くささの漂う場所、露天風呂につかってぼーっとしていると、嫌なことも疲れていることもじんわり消えていく感じがして、これが温泉の癒しの効果なのかもしれないと思ったりした。
 もっとも、それからすぐに現実は戻ってきたのだが、今にして思えば、あれほど深刻に悩んだこと、とても些細なことだったように思う。

 ベット・ミドラー(Bette Midler)に“フロム・ア・ディスタンス(FROM A DISTANCE)”という曲がある。遠くの視点、神の視点から見れば景色は変わる。それは私たちの視点とははるかに違うもの。
 神はあまりにも遠い場所から私たちを眺めている。だから、私たちがどれほど憎しみ合い、銃を持って殺し合ったとしても、それはあまりにも小さなことすぎて神には見えない。私たちはすべて同じ人として、友愛に満たされているようにさえ見えるだろう。神の目に留まらないことで争うのはよそう。希望の音色を奏でよう。
 そういうことを歌ったもの。

 遠く離れたところから見れば、あの時悩んだことはとても小さなことだったのだ。遠くに離れすぎて、もう見えなくなってしまったということか。
 なるほど。思い出って、美しいわけだ。
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2008.02.23 (Sat)

山を崩し、山を築く

 毎日、部屋を眺めて反省し、決意する。今週末こそ片付けよう。
 数週間に及んで築かれた衣類の山。それは箪笥の上の空間に積み重ねられて放置されているもので、すっかりそこに落ち着いているものでもあるのだが、箪笥の引き出しがすっからかんの現実を思えばそれはあって良い光景ではない。
 毎日思う。
 そして、毎週思い返す。
 あれもこれもやりたい。とりあえず、休日にしかできないことを先にやって、衣類は後でもどうにかなるから……。結局、山は山のまま週が明ける。
 一人暮らしの時からそうだった。
 洗濯物は、「洗って」「干して」「とりこんで」まではやらざるを得ないので、一応週末にまとめてやっておく。けれども、そこから「畳んで」「しまう」ことには手を付けない。なぜって、それは義務でも何でもなく、ましてや人間らしい生活を送る上での必須条件でもない。きちんと洗ってあるもの、しかも、またすぐに着るもの、放っておいたっていいじゃないか。そういうズボラ論。
 結局、袖を通した衣類が一週間かけて山になり、その山が週末に綺麗な山になる。綺麗な山は一週間かけて切り崩され、袖を通した山に変身する。「山と山を交換している」と知り合いが言っていたが、的を射た表現だ。一人暮らしを卒業した今でも、その光景は変わらず。
 どんな形であれ、山は結局そこにある。いっそ登ってみたらいいかもしれない。
 昔からナマケモノだと言われてきた。その通りなのだが、言われてみればむっとする。とはいえ、むっとしたのも昔の話。最近は少し、その怠けぶりが心配でもある。
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